【後篇】モテるために生きている 〜「狂わせガール」は「モテ」の三種の神器の全てを持ち合わせている件について〜

【後篇】モテるために生きている

前回までの記事は「モテ」に関して2種類のモテを紹介した。「顔が美人・可愛いモテ」、そして「穴モテ」に関してだ。

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かなり正直に、率直に、徹底的に男目線で女性の「モテ」に関するツッコミをしたつもりだがどうだっただろう?薄々は気がついているものの、こうやって言葉にして見ると、より現実味があったのではないだろうか。

 

「男ってバカだな、、」「ヤリたいだけかよ、、」「やっぱり顔面至上主義か、、」と、色々声が聞こえてきそうだがそれは紛れもない真実で、変えようのない現実なのだ。男とはそういう生き物で、「モテ」たいならそんな「男のさが」を理解する必要がある。

 

この記事では三種の神器の最後の「モテ」の秘訣について深掘りし、「狂わせガール」がいかにして最強であるかの考察し、最後にモテの本質について考えてまとめていきたい。

 

量産型、且つ雰囲気美人・可愛いはモテる

 最後に「モテ」の秘訣としての「量産型」「雰囲気」について話をしようと思う。

 

量産型はモテる

「モテ」のみに絞って考えてみて欲しい。

 

ドレッシーに着飾り、高いヒールを履いて、赤いリップを塗って、凛々しい顔をしている、男女共通して「カッコ良い・キマっている」と認識する女性。

 

例えば椎名林檎のような女性。

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参照URL

 

ゆるふわした感じの量産型の服装をしていて、笑顔が可愛く表情豊かに振る舞い、時にはぬけている部分も見えてしまうような女性。

 

例えばトリンドル玲奈のような女性。

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参考URL

 

果たして、両者どちらが”一般的に”モテるだろう?

 

例に出したモデルの女性はあくまで例なので、その雰囲気のみで判断して欲しい。

 

どちらの雰囲気を身にまとっている女性の方がより「モテる」か。

 

言わずもがな、答えは圧倒的に後者だ!

 

正直に言おう、男は臆病ものが多い。前者の女性はとってもカッコ良いし美しい、その力強さには憧れに似た眼差しを向けてしまう。男性が女性に対して。

 

一方で、その「強さ」(それがたとえ本人にとっては背伸びだったり、強がりだったとしても)に男は怖気付く男はかなり多い。

 

僕は普段から全身黒で、RickOwensだとかJuliusだとかモード系の服しか着ないのだが、モード系の服が一般的に受けが悪い(モテない)のは、そこにその人の持つある種こだわりの強さ、その人の持つ「強さ」が溢れているからだ

 

その「強さ」はある意味人を遠ざけてしまうバリアを貼る効果もある。

 

「私に近づくな」「私に近づけるのは私と同じレベルの人のみ」のようなオーラーを、無意識のうちに出してしまい、結果的に「近寄りがたい」人と認識されてしまう。

 

そして「力強さ」「個の強さ」が全面的に溢れている女性は、同時に「話しかけにくい」オーラーをまとってしまう。「個性」とは難しいもので、それを出し過ぎれば敬遠され、一方で無個性になってしまうと、没個性、つまり量産型になってしまう、そのさじ加減はとっても難しい。

 

しかしながら「没個性」「量産型」は「個性派」よりも圧倒的に話しかけやすかったり近づきやすい。みんな同じだからだ、みんなと似ているからだ。日本人は同調意識が非常に強い、同調を必要以上に求める社会の中で生き抜くには、やはり同調するしかなく、それは「個性」という面においても例外ではなく、そしてそれはファッションも例外ではない。

 

だからこそ「量産型がモテる」のだ。

 

男は雰囲気に弱い

次に「雰囲気」の話をしたい。そして少し身の回りの友達を思い浮かべながら考えて欲しい。

 

「あの子、特に美人(可愛い)だったり、ヤリマン(すぐにヤレそう)でもないのにやたらモテるし、仕草とか雰囲気が可愛いからかな?」

 

そんな人達がいないだろうか。きっと思い浮かぶ人が居るに違いないだろう。何故なら男は雰囲気や仕草が可愛かったり美しかったり、表情豊かな女性にめっぽう弱いからだ。

 

少し語弊があるためもう少し詳しく説明すると、男は正直女性の造形美のその細部までは全く見ていない。整形の話の下りで話した通り「こいつは整形美人だ」なんて整形で美人になった人を見ても一ミリもそうは思わず、普通に「美人」と認識する。要は少々造形が整っていなくとも男性に「美人」「可愛い」と思わせることができれば、男にとってはその女性は「美人」「可愛い」のである。

 

そして、男に「美人」「可愛い」と認識(たとえそれが錯覚だとしても)させる一番手っ取り早い方法は、女性が身にまとう雰囲気や所作、女性らしさ的な部分を、男性に認識させることなのだ。

 

「彼女はハキハキ話すけど、仕草が不器用っぽくてで可愛い」

「彼女は表情豊かで笑顔がとっても素敵、可愛い」

「彼女は所作全てが美しい、食べ方もとっても綺麗、美しい女性だ」

 

所作、表情の豊かさ、言葉遣い、仕草の可愛さ等、それぞれが持つ美しさや可愛さ、そしてその女性らしさを目の当たりにすると、男性は、それが女性自身の「美しさ」「可愛さ」とリフレーミングしてしまい、その女性自身を「美しい」「可愛い」と思うようになる。惚れたら盲目とはある意味この事でもあるのだ。

 

 

 

「男がモテるにはとりあえず兎にも角にも清潔感」と言われるように、女性に関しては「女がモテるにはとりあえず兎にも角にも振る舞いや所作等の小綺麗(美しさ、可愛さ、豊かさ)」がとっても大切なのだ。

 

狂わせガールが全てを持ち合わせている件

さて、ここまで3つのモテの神器について話してきた。

  1. 顔が美しい(可愛い)&標準体型(太っていない)という一番ベタなモテ
  2. 穴モテ
  3. 所作・振る舞い・雰囲気モテ

実はこれらはそれぞれ独立しているわけではなくむしろ共通する部分が多く存在し、それぞれをバランスよく活かしている人は世の中にたくさんいて、掲題通り「狂わせガール」こそがこの全てを完璧なまでに使いこなし、見事に男を虜にしている。

 

 

 

『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』に登場する「狂わせガール」の水原希子を思い出して欲しい。下記動画を見てみると想像しやすい。

 


ヒューマックスシネマ限定!「奥田民生になりたいボーイと出会う男子すべて狂わせるガール」特別映像!

 

まず圧倒的なその造形美、理想的な体型。そしてその所作や振る舞いに溢れる女性らしさや美しさ、可愛さ。動画では描かれていないがTweetしている通り、「カラダの出し惜しみはしない」というその徹底したセオリー。

 

全てを完璧に使いこなし、何十人もの男を虜にし、仕事もプライベートも超絶漫喫している、そこには完璧な女性がいた。

 

これぞ、生ける「モテ」

 

モテの権化

 

なのである。

 

そんな女性が身の回りにいたら、男は虜にならざるをえない。きっと一瞬で自分の人生を棒に振ってでも彼女を追いかけてしまうだろう。そういう”魔性”性を持っている。

 

つまり、モテの三種の神器を使いこなすことによって完璧なまでの「魔性の女」が作り上げられ、究極のモテが完成される。その前に男はただただひれ伏すしか選択肢は残されていないのだ。

 

逆に言えばこれまでに説明した三種の神器さえ使いこなすことができれば、あなたは簡単に圧倒的なモテを手に入れることができる。「モテ」を自由自在にあなたは操ることができ、あなたのまわりから男が絶えることはなくなるだろう。

 

あなたは「”モテ”」を手に入れることができる。

 

本当にあなたは「モテ」たいのか

さて、ここまでただただ純粋に「モテ」について考えてきた。「モテ」るための秘訣、三種の神器について説明してきた。

 

しかしながらふと疑問に思うことはなかっただろうか。

 

「これは、私が望んでいるモテなのだろうか」

 

「私は本当にモテたいのだろうか」

 

たしかにこれまで説明してきたメソッドのどれか1つでも再現すればある程度、簡単に、誰でも、不特定多数の男から”モテ”ることができる。しかし、その”モテ”はあなたが思っているものと同じだろうか?

 

あなたは”モテ”たいのだろうか?

 

僕自身、これまでも、これからもずっと、”モテ”る人生を生きたいと思う。でも僕が考えるモテは「不特定多数の女性に”モテ”る」ことではなく、僕が好意を寄せていたり、気になっている人に、同じように僕のことを気になってくれていたり、好きになってもらいたいというのが、僕の考えるモテであり(つまり僕はずっと彼女に好きでいてもらいたいし、僕はずっと彼女のことが大好きだ)、不特定多数の人からの好意はモテだと認識できない。

 

その意味では、本質的なモテとは「両思い」的な側面が存在することを認めなければならず、これまで紹介してきたテクニックを駆使しても(ある程度は成立させることは出来るかもしれないが)もう少し別のアプローチをしなければ、ここでの本質的な「モテ」は成立しない。

 

つまり「狂わせガール」的なモテは、説明したテクニックを駆使すれば簡単に成立するが、それが貴方が望む本質的な「モテ」であるかはまた別の話であることと同時に、上で書いた僕の考える「モテ」を「モテの本質」と捉えるのであれば、上記の”テクニック以外のなにか”について考えていかなければならない。

 

『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』でも最終的に水原希子は主人公たちの目の前から突如消えてしまい、その後の消息は明らかにならず、彼女が結果的に幸せな人生を送っているのかは誰も知るすべはなかった

 

これがこの作品のとってもズルい部分というか面白い部分で、「狂わせガール」の水原希子は圧倒的に多数の男を翻弄し虜にする事は出来たとしても、それが本人の幸せに繋がったかどうかは作中で明示されなかったのだ

 

つまり「狂わせガール的モテ」が幸せに繋がるかどうかはわからない。

 

だからこそ、もう一度僕はみなさんに問いたい。あなたは「狂わせガール」になりたいのか、「狂わせガール」的なモテを手に入れたいのか。

 

昨今、晩婚化が進み、結婚もしにくいの世の中であるにも関わらず、圧倒的恋愛至上主義的な側面を持つ日本社会(特に若い世代の人々の間で)で「モテ」は非常に重要な命題の1つだと僕は実感している。恋愛も、結婚も、きっと様々な形があるのと同様に「モテ」に関する考え方も人によって千差万別であることをこの作品を通して教えられた。

 

僕は決して「狂わせガール」的なモテを否定するわけではない。ただ僕は、彼女の考える「モテ」とは違うものを「モテ」に求めている、それだけのことだ。

 

もしこの作品を見たことがないのであればぜひ見て欲しい、そしてあなたが持つ「モテ」の本質について少し考えてみて欲しい。それが「狂わせガール」的なものであればぜひこの記事で紹介したテクニックを駆使して「モテ」まくって欲しい。逆にそうでないのであれば、もう少しじっくり視野を広げてあなた自身の考える「モテ」についてゆっくり考えて欲しい。

 

みなさんがこの記事を通して、「モテ」に関して少しでも振り返ってくれたのであれば幸いだ。僕からは以上だ。

 

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