まどかの戯言集

美しく、生きたい。

『溺れるナイフ』を見て、”欲望する主体”としての女性について考えた。

はじめに

ひたすら菅田将暉君の金髪姿がイケメンで、小松菜奈のアンニュイ美少女感満載な『溺れるナイフ』を彼女と週末に見に行ってきました。

 

溺れるナイフ コミック 1-17巻セット (講談社コミックスフレンド B)

溺れるナイフ コミック 1-17巻セット (講談社コミックスフレンド B)

 

 

同作の原作は、ジョージ朝倉作の累計発行部数150万部超(2016年3月時点)のコミック『溺れるナイフ』(講談社「別フレKC」刊)。若い女性の間では、若手の有名俳優・女優の起用も相まって、とても話題になっている作品です。

 

菅田将暉君と言えば、仮面ライダー好きの僕としてはどうしても『仮面ライダーW』のフィリップを思い出さずに入られません。

 

さあ、お前の罪を数えろ」という名言を残した、”ハートボイルド”で熱い男とクールなフィリップが、ニコイチで街を守る仮面ライダーでしたね。

 

一方で、主演女優の小松菜奈さんは今をときめく若手の女優さんです。モデル活動から始め、『渇き』という、若者の間にドラッグが蔓延するちょっとした怖い映画で猟奇的な娘役を演じ、そこから一気に女優として名を挙げたイメージを僕は持っています。

 

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モデルということもあり、背が高く細い、白い、手足が長い、首も長い!若い女の子の間では憧れの存在でしょう。

 

今回は、その小松菜奈さんが演じる「望月夏芽」役に着目し、10代の女性が持て余す、扱い方の分からない、その女性性や自意識にについて考えてみました。

 

 

おひとりさまの最期

おひとりさまの最期

 

 

自意識と女性性

中学生くらいだと、男子に比べて女子の諸々の発育が格段に早いのは人間と言う生き物に生まれた以上どうしても認めざるを得ません。男子がジャガイモみたいな芋臭い子どもの時に、いつのまにか女子はいちごみたいにどんどん可愛く、綺麗に、洗練されていき、まわりの男子はいつのまにか女子のトリコになっています。

 

よくある話ではありますが、身体の成熟と精神の成熟は相関しているわけではないので、身体の成熟が早い女性が、まだ精神が成熟していないうちから、自身の身体が帯びてしまった性的な魅力に対して、周囲からそういった目線を向けられてしまい、それに戸惑い、それがある種のトラウマになってしまう人もいたります。知らず知らずのうちに「男の欲望」の対象とされてしまう。

 

法律的には女性の結婚は16歳まで認められていません。性交渉もいくつかの条件をクリアしなければ、法的にはアウトになっています。そうやって、制度的・社会的に「性的に使用される事を禁止される身体」を持つ女性を「少女」と言う、と有名な社会学者である大塚英志さんがおっしゃっていたことを思い出します。精神面はさておき、身体的には、第二次性徴を経ると、女性の身体は性的に成熟しているため、妊娠・出産に耐えうる身体になっています、医学的には。しかしながら、社会的・制度的にそのように利用される事を禁止したため、ある種の、現代でも一部の男性には根強く残る処女信仰等の文化や、「結婚までは処女であるべし」みたいな古い文化が生まれました。

 

前近代の性風俗の歴史を振り返ると、そんな制度があるわけもなく、むしろ10代の女性の身体を、性的な身体として扱っていた(むしろ酷使していた)ことは、江戸時代の遊郭の歴史を見ればお分かりになられると思います。「おいらん」という言葉を聞いたことはあるでしょう。一方、女性が10代のはじめから性的身体を持つにも関わらず、それを制度的・社会的に「使用禁止」にしているのが現代の日本。

 

そのいびつな矛盾に欲情するように刷り込まれた日本人男性。制服萌えとか、処女信仰とか。そういった少しばかり特異な性的な志向は「使用禁止された、性的に成熟した身体を持つ少女」に集約すると言うことが出来るんじゃないでしょうか。

 

ブルセラ 

1980、1990年代日本と言うカオスな時期に、一時的に女子中高生の間で「ブルセラ」が流行っていましたよね。自分のパンツや体操服が、当時の自分が手にしたことのないような大金で売れることを知った少女達。社会的には非力でも、自分たちがコントロールできる範疇を超えた自分たちの身体の魅力と、そしてその魅力に惹きつけられる男・社会の欲望を知ります。そしてふと思うのでしょう「私の身体は私の理解を超えた何か魅力がある、私はどこにいってしまうのだろう」と。

 

今日だと「メルカリ」というサービスが広く普及していますが、そこでは現代版ブルセラとでも言ってもいいような売り買いが発生しています。「高校の制服売ります!」「着用済み靴下!!」「有名私立のブレザー!着用画像有」みたいな文言で中学や高校の制服がとても高値で売買されていたります。凄いものだと、10万円を超える値段がついてしまっていたものも。サービス側で上手くリジェクトできればいいのですが、あの手この手を使ってユーザーはフィルターをすり抜け、ちょっと危険な香りのする商品を売り出しています。2月3月あたりは出品が増えるので、興味がある人はぜひチェックしてみてください。面白い光景を見ることが出来るでしょう。

 

大塚英志の言う「少女」は情報化社会の現代において、様々な情報に触れやすくなった結果、以前に比べて「私の身体は私の理解を超えた何か魅力がある」という自覚をより一層しやすくなっている。自覚をして、そして10代の女性の自意識は一層研ぎ澄まされていく。

 

日本社会には、どうしても「欲望される主体である女性」と「欲望する主体である男性」という社会構造が根深く残っています。男女平等を謳う現代でもそれはかわりません。男性社会と言うとフェミの人に怒られそうですが、でもやっぱりそういう社会・文化が残っていて、それが残っているからこそ上手く社会が回っている面も多々あるのは事実です。「男はおごって当たり前・レディーファースト」のような文化も、男性社会と言う前提があるからこそ成り立つ理論ですので、完全なる男女平等な社会が実現されたならば、それらのルールは全く適応されなくなりますよね。旧石器時代から「♂は狩りに、♀は子育てその他」という役割があったため、そのように身体の造りも遺伝子レベルで刻まれており、それを”本能”と呼んでいたりしますが、成熟した社会では、男性の男性性が弱まるという調査結果も出ていたりします。より一層女性が主体的になれる社会の準備は整いつつある。

 

欲望する主体としての女性

ちゃんと何かを望んだり、願ったり、欲望する主体として、本作品の夏芽は描かれています。女の子は、やはり、欲望される側の主体として、これまでの数々の映画の中で描かれてきました、そういう社会構造ですので、仕方のないことなのかもしれません。それはもちろん誰が悪いとかではなく、そういう歴史のほうが長いとうありのままの事実。

 

しかし、それを感じさせないのが本作品。この作品からは「女の子向けの映画はこういうものだから」みたいな定番のパターンを感じさせず、且つ、過去の少女マンガを流用して描いている感じが全く感じられせんでした。むしろ、欲望する主体としての女性が赤裸々に描かれています。綺麗事とか、淡い青春とか、そういうものじゃなく、人生の主人公は、醜い感情、時には憎悪ですら、かけがえなく孕んでいるはずで、それが光って描かれている、例えそれがとても暗い感情だったとしても。そんな主人公を、ありのままに、小松菜奈さんが迫真の演技で表現されている。

 

まとめ

結局、勉強とか、教育とか、政治とかよりも、物語、映画、音楽の方が、人生に濃く関わって、きっと人生を狂わせてしまう致命傷になるんだと僕は思います。ある種の洗脳です。僕は中学生の頃にヘヴィメタやV系に目覚めて、それ以降ずっとその音楽が大好きで、いつのまにかそういう風なファッションだったり世界観が好きになって、今でもそれは変わっていません。まさに「人生を狂わせた」と言うことができますよね。

 

きっと、この映画をティーンの時期に見た女性は、その心に、鮮明に強烈に、映画のシーンが刻まれるでしょう。幼い頃に体験したことは、意識・無意識に関わらずすっと身体に刻まれています。良い意味でも、悪い意味でも、この映画は、間違いなくティーンな女性には鮮明に何かを刻む映画になっていますし、少しお歳を重ねた方は逆に「あぁ、なんか痒いな」って感じられる映画になっていると僕は思いました。

 

途中で話がそれまくりましたが「欲望する主体」としての女性が非常に上手く描かれている作品だと僕は思います。女性同士でもよいですし、カップルでもいいので、ぜひ劇場に足を運んでみてください。菅田将暉君の超絶イケメン火祭りの踊りを見るためだけに行っても、充分価値があると思いますよ。僕からは以上です。

 

菅田将暉 アーティストブック 『 20+1 』

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発情装置 新版 (岩波現代文庫)

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