フラット

 

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多くの女性は、自分より身長が高くて、ある程度顔が整っており、且つ締まった体で清潔感があり、リードしてくれて、そしてできれば社会的にも成功しており、ある程度金銭的に余裕のある男性を好む。

 

それはそれで良いと思う。よろしくやってくれと他人事のように見ている。僕は自分自身の男性性があまり好きではないから、所謂、そうった男性性が好まれる社会の流れにどうしても抗いたいただのキモヲタなのだ。そんな男性像がモテる時代は、さっさと終わってくれと切に願っている。

 

そもそも、

 

イケメンや美女というものは、とても一過性の高い価値指標だ。

地域、時代によって大きく変化する。ブームのようなものだ。

 

例えば、社会が成熟し豊かになり、女性の社会進出が進むと、男性が、所謂、男性性を高めて”強く在る”必要がなくなる。それは、文化人類学的に既に過去に証明されている事実。

 

男性が、石器時代のように狩りをする必要がないから、身長が高く筋肉隆々で、逞しく血気あふれるワイルドな風貌になる必要がない。

 

そんなことをしなくても、社会は既に高度に発達しているし、男性がそれまで担ってきた役割は女性で簡単にリプレイスできてしまう、或いはむしろ女性のほうが適任である場合もあるから、上記のような男性性などは、ケースバイケースではあるものの、これまでの時代と比べると、その必要性がなくなってきている社会になっている

 

 

 

例えば、しばしば、「”本能的に”、或いは遺伝子レベルで、女性はそういう男性を好むようにプログラムされている」という話もよく聞く。ここで言う「そういう男性」とは、身長が高く筋肉隆々の男気の在る♂のことだ。

 

利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>

  • 作者: リチャード・ドーキンス,日高敏隆,岸由二,羽田節子,垂水雄二
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  • メディア: 単行本
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リチャード・ドーキンス著の『利己的な遺伝子』では、そういった所作を”利己的な遺伝子”という言葉を使って説明している。「なぜ男は浮気をするのか」「なぜ世の中から争いがなくならないのか」等の普遍的な事象を、この言葉と彼の理論でとても上手に説明している。ダーウィン進化論の核心である自然淘汰の原理を、淘汰の単位は遺伝子であるという観点から、具体的な生物行動を例にあげて徹底的に考察した渾身の大作だ。

 

「”本能的に”、或いは遺伝子レベルで、女性はそういう男性を好むようにプログラムされている」

 

ある時代では、これが、利己的な遺伝子が選んだ最適解なのだろう。「身長が高く筋肉隆々の男気の在る♂」がもてはやされた時代。

 

でも僕は、既にその時代は終わってきているのではないかと感じる。緩やかな死だ。

 

今の若い子を見てみるといい。男性が普通に化粧をしている。中性的で女の子のように整った男性が、カリスマモデルとしてもてはやされている。線が細く、色白で、体重も女性より軽いのではないかと思えてしまう。ガリガリと言ってもおかしくない。それでも、今の若い子の間では、彼らがすごく人気なのだ

 

高度に発達した社会、急激に成長した社会というアーキテクチャが、既にそれらのプログラムを書き換えていると言っても、僕は過言ではないと思っている。利己的な遺伝子は、その社会の最適な解を見つけようとするから、自ら書き換えていると言っても良いのかもしれない。

 

人間というものは、環境に定義される生き物だ。環境が変われば人間も変わる。一緒にいる人が変われば人は変わるし、住む場所が変わったならば、人は新たな環境に適応して変化していく。

 

だから僕は切に、男性性や女性性など排除されたフラットな社会の到来を待ち望んでいる。