同棲と共依存 〜或いは戦略的セカンド論〜

 

Tower of cards

 

僕の友人が先日こんな相談を持ちかけてきたものだから、ここ最近ずっと彼が語った言葉が頭から離れない。

 

お互い、彼氏・彼女ができるまで同棲するつもりなんだ。どう思う? 

 

彼と彼女は、社会的には大学の先輩・後輩関係から始まり、今は一般的に言う「セ○レ」関係にある。

 

僕の知る限り、彼らはもう既に1、2年はその関係を継続していると思う。しかし、もちろん体だけの関係ではなくて、お互いの趣味を一緒に楽しんだり、デートをしたり、食事にでかけたり。その様子は、さながら恋人同士の関係性そのものに見えてしかたない。

 

しかし彼らは、あくまでお互いに”都合の良い関係”でいることを続けている。そういう選択をしている。彼はもう社会人だし、彼女もそろそろ大学?大学院を卒業する時期だ。もしかしたら、もう社会人かもしれない。境遇が変化しても、その関係性は揺るいでいなかった。

 

なぜ彼が僕に相談したのかと言えば、僕は大学4年生の頃から社会人2年目の前半まで当時お付き合いをしていた歳下の大学生の女性と半同棲をしていた経験があり、それを彼が知っていたからだ。形としては、彼女が僕の家に転がり込む形での同棲生活。当時、様々な事があって、彼にはよく相談していたものだと、懐かしく思い返す。

 

同棲と言っても、もちろん二人で住む同棲用の部屋を借りていたわけではなく、小さな1Kの部屋で同棲していた。僕は広い部屋が苦手だから、学生の頃住んでいた部屋も、今住んでいる部屋も、人から見ればとても狭い部屋で、到底同棲を営めるような環境ではない。人1人がまったり過ごすには適した環境だが、2人ではプライベートエリアも確保できなく息苦しくなってしまう

 

また、僕は生活感のある部屋が嫌いだから、部屋には本棚と机とPCぐらいしか置いていない。インテリアなどは必要ない。白と黒を基調とした小さい部屋だ。クローゼットを開くと黒の服しか無いことにも気がつくだろう。

 

帰ったら鍵を置く場所は決まっていて、リモコン類の位置も固定、基礎化粧品のBOXのの中の並びも常に固定、自分の部屋の、全てのものの、全ての位置を、すべて把握している。もちろん、キッチンの調味料の類の並び順も一定だ。細かい。端的に言えば、ただの面倒くさいこだわりの強い男である。

 

こんな僕が2年間もそれらの部屋で彼女と同棲できていたのだから、きっと何か、同棲には秘訣があるに違いないと彼は思ったのかもしれない。しかしながら、秘訣なんてあるわけもなく、同棲期間中は僕のそういったこだわりは、彼女の振りかざす同棲という圧倒的な正義の前に弱々しく衰えて行き、僕はそれらを捨てていくしか為す術がなかった。

 

ならば、同棲をしなければ良いのではないか、と思う人も多いだろうが、彼女はメンタルが少し弱く強迫観念症を患っており、なかなか放置してはおけない状態だった。ずっと。

 

今客観的に振り返れば、その時放置する選択をしていれば、その後「寂しいから二股してた」なんて言われ精神的にズタボロになる前に、綺麗に別れられていたのかもしれない。後悔後先立たず、と言ったところだろうか。

 

同棲によって精神的・物理的に束縛されていた僕自身は、別れた後もその束縛からはなかなか解き放たれることはなく、1年程引きずる。共同生活によって平にされたものが、少しづつ元の形に戻っていく、独り身になって穴が空いた心を、無性に別のもので埋めようともがく。少し鈍っていた自分自身の感覚が少しづつ取り戻されていくと同時に、一方でとてつもない虚無感を感じる。なんだかんだ、同棲を通して、僕はこの二人の同棲生活に依存していたし、彼女も僕に依存していたし、つまり、二人は所謂共依存状態になっていたのだと後から気がつく

 

彼女は、僕と別れる半年前から新しい依存先を見つけており、別れた後はすぐさまその彼のもとに行った。高円寺に住む30過ぎのフリーターな彼。

 

新しい依存関係をそこで既に作っていた。僕自身、急に二股が発覚するという想定は全くしておらず、ただひたすらに彼女のいなくなった部屋で虚無感に襲われつづける毎日。そこで初めて、僕自身が依存状態になっていたことに気がついたのだ

 

こういった経験から、僕は今後一切、結婚が確約している相手ではない限り、恋人関係の女性との同棲は、絶対にしないと心に誓っている。お互いの依存状態になってしまい、その後片方が抜けた時の虚無感の辛さは、耐え難いと知っているからだ。これは僕自身の弱さであり、トラウマでもあるとは自覚しているが、それでも友人に同棲に関する相談をされれば、「やめておいたほうが良い」と伝える。僕自身の弱さの露呈に違いはないのだが、それでも、仲の良い人には同じ思いをしてほしくないという僕なりの思いがある。

 

今回、相談を持ちかけた友人のケースだと、お互い、”セカンドであることの共通認識”を持つ関係性なので、少しばかり勝手が違う。僕自身、一方的にセカンドにされたり、相手をセカンドにすることは経験していてもお互いの合意の上のセカンドな関係性は、今まで築けた例がないのも、アドバイスしにくい要因なのだと思う。

 

それでも敢えてアドバイスをするとすれば

 

  1. お互いのプラベートスペースは確保できるか
  2. お互い自立し、共依存関係に陥らないか

 

この2点だけは必ず確認しておいて欲しいと思う。

 

彼らの関係は、非常に戦略的なのか、或いは向こう見ずの刹那的なものなのか

 

既に1、2年もの長い期間、その関係を続けているので後者には当てはまらない。2年間は刹那と言うには長すぎる。とは言え、字面的に”お互い彼氏・彼女ができるまで”と自立し合っているように見えるが、言い換えれば共依存のそれと違いない。一方に恋人が出来た時、2人の関係性がすんなりと綺麗に解消されるようには到底思えない。例えば、巷でよく言われる1人に依存しないように複数同時並行的に関係を構築し、1人との関係が切れてもまた別の人がいるという状態を作っていたとしたら、もしかしたら、その関係解消はすんなり行くのかもしれない。僕の元カノがそうしていたように。しかしながら、友人は良い人だから、複数同時並行をできるようには思えないからこのアドバイスは無しだ。

 

彼とは今度ランチに行き、より詳しく、事のいきさつについて説明してもらい、アドバイスをする予定だ。だから、事前にブログで僕なりの考え方をまとめておきたかった。それが今回のエントリーだ。

 

アドバイスができるかどうかなんて正直僕には分からないし、有用なアドバイスができるとは到底思えない。しかし、僕自身が経験したことを、もう少し彼にしっかり説明して、彼にはそうなってほしくないということだけは、キチンと伝えようと思いっている。それがアドバイスになり得るかはさておいて。

 

戦略的にセカンドになる”という選択肢は、現実的なのか。そもそも実現可能なのか。

 

僕は未経験だから分からない。それを実現している彼が、今度どういう選択を経て、どういう結果に落ち着くのか、長い目で見てしっかり観察しつつ、彼と彼女の今後の関係性に注目していきたい。

 

 

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番外

 

同棲をして共依存関係になると、まるで村上春樹の小説のワンシーンのような休日を過ごすことがある。

 

今日は雨が降っているから外にはでたくない。だから朝目が覚めても、ベッドから動かない。カーテンも閉めっぱなしだ。ぼんやりとした寝ぼけた頭で覚醒まで程遠い意識の中、お互い体を弄り合いはじめる。疲れるとまた、そのまま裸体で寝てしまう。汗や体液は気にも留めない。

 

また起きると、もう昼過ぎになっていて。それでも、動く気にもなれずテレビをつけっぱにして雑多にBGM代わりにする。またお互い体を弄り合う。

 

そんなことを繰り返していると、いつのまにか夕刻に。日が暮れ始めてやっとシャワーを浴びて冷蔵庫に入っていたものでテキトウにご飯を作り一緒に食べる。夜はHuluをベッドの上から二人一緒に見る。そしていつの間にか寝落ちしてしまう。

 

これが案外、まるで小説の主人公になった気分になって、ちょっとばかり気持ち良い。「堕落した生活・性活」と言ってもいいかもしれない。「本能に忠実で、とても動物的な休日の過ごし方」とも言える。さながら「堕ちるとこまで、僕と堕ちようか」と『Magnet』の歌詞の一つのような情景も当てはまる。

 

殊更SEXに意味性を持たすことなく、食事をしたり、睡眠をしたりする流れで、日常の一部としてSEXを描く村上春樹の小説は、個人的にはすごく好きだ。

 

だが、僕は彼の小説のそういった描写を見る度に、同棲時代のあれこれがフラッシュバックするので、もう殆ど彼の本は読んでいない。持っていた本も捨ててしまった。それでも、懐かしく過去に思いふけ、ダラダラとベッドの上ですごす雨の日の休日も、それはそれで、良いのかもしれない。

 

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